★学校で「よいこと・悪いこと」を教える
「開かれた校長室」で教える
前・神奈川県茅ヶ崎市立緑が浜小学校校長 角田 明(つのだあきら)
私が勤務した学校は二〇〇一年四月一日に新設開校した小学校である。二つの学校の子どもたちが登校してくることになった。今まで子どもたちが生活していた老朽化した校舎に比べたら、天と地ほどの差があるほど立派な現代建築の校内施設設備である。しかし子どもたちは、その道いに度胆を抜かれるかと思いきや、好奇心丸出しでいろいろなところを探究するので、開校当初ほセンサーが作動し続けて、教職員は「便利な」あまりの機器に振り回された。校長室も広くてじゅうたん敷きの立派な部屋である。ガラス張りになっていて廊下からすべてが透けて見えている。そこへ、珍客と化した子どもたちが大挙して押しかけてきた。無法状態のやりたい放題。応接セットがトランポリンになってしまう。家庭でも躾ができていない子どもたちである。校長が怒鳴ったところで直るような状況下になかったのである。
校長室は「校長先生のお部屋」ですよ
秘策を練った。
入室する子どもには上履きを脱がせることにした。途中からの変更した指示であったので早速クレームがついてしまった。捨てぜりふは何と、「校長のケチ」だった。今となっては懐かしい場面となっている。
靴を脱ぐことになって入室者は激減したが、二〇人余りの子どもが校長室に入るとなると「四〇の靴片」が廊下に放り出された状態になる。来客にとって廊下に散乱している上履きはさすがに異様に見えたことだろう。そこで校長先生は黙って上履きを並べたのだ。いいえ、校長室で子どもの相手をする時間より靴の整理に時間を費やしたと言ったほうが的を射ているかもしれない。子どもたちの中で誰かが気がついて「一人でも」自分の靴を整頓してくれれば、との思いで一週間ばかり黙々と整理に関わった。校長先生が並べている前を靴が飛び跳ねるようにして脱いで絨毯に滑り込む子どももいた。何日目までだったかは定かではないが、一人の二年生の男の子が「校長先生、何やってんの?」と声をかけてくれた。
「校長室は校長先生のお部屋でしょう。お部屋に遊びに来てくれるお友だちはお客様だからお客様の靴ぐらい並べてあげようと思って整頓しているんだよ」と、答えた。すると大きな声で「ここは校長先生のお部屋なんだから、入るときは靴は並べないといけないんだぞ」と校長室の中に向かって叫んでくれた。半数ぐらいの子どもたちは反応してすぐに「校長先生、ごめんなさい」と言って自分の靴を確認に飛んできた。並んでいることがわかると「校長先生、ありがとう」と言う子どももいた。すかさず、「おりこうさんですね。ありがとうが言えるんだね」と返した。次から次へと「ありがとう」が連発された。何となく救われる思いがした。これで翌日から靴の整頓ができるほど甘くはなかった。机で執務をしながら「靴は並んでいますか」と、入室する子どもに声をかけ続けた。靴の整理整頓がイヤなのか悪くなった子どももいたようである。
そんな日々から校長室にいる限りは珍客を迎え入れながら「靴を並べて校長室に入る」指導を続けた。新年度がチョッビリ大変である。新入学児童にはゼロから指導しなければならないからだ。しかし、気がつくと在室している上級生の指導がそこに芽生えてきていたので三年目あたりからはほとんど直接の指導を必要としないほど整然とした出入り口となったのである。三年の月日を要したが「よいことを教える」実践は確実に浸透している。子どもは本質的には素直である。学校では教師がおとなとして「教える」ことがいかに重要かを本校の教職員は学んでくれたと確信している。
休業中の校長室は「寺子屋」に変身
長期休業中、つまり夏休みと冬休みには校長室が一年生から六年生までの誰もが通える「校長塾・寺子屋」を開設した。ここは「教わる」のではなく、「自ら学ぶ楽しさ」を体験する場所なのである。休業前の学校便りで広報した。あくまでも校長先生の日程に合わせて前半と後半の二部に分けて作ることにした。希望者の申し込みも必要としない。校長としての目的は「学習姿勢の躾」の場としての特設なのである。
三年間で延べ人数にしても五〇〇人が通ってきた。前述の指導は、ここで生きてきた。黙っていても靴を整理整頓して「おはようございます」と言って入って来るのである。実に清々しい光景であった。
寺子屋の魅力は「校長室でお勉強できる」という学習環境の特設だけではない。「お兄さん・お姉さん」に教えてもらえる楽しさを低学年の子どもたちが「喜び」としていることだ。少子化時代の子どもたちは、こういう人工学習環境をつくらない限り接触する機会がないのである。開設当初は、勝手がわからないこともあったようだが、三年間、通算六回の「寺子屋」を実践している間に異年齢集団の良さがはっきりしてきた。
校長先生が教えてあげたことは、「礼儀と感謝」だけであった。「教えてください」「ありがとうございました」を徹底させた。そして、丁寧に教えてくれた上級生には終了時刻間際には席まで足を運んで「立派に教えてくれてありがとう。とっても喜んでいたね」と、必ず伝えることにした。大役を果たした一人っ子兄ちゃんや妹のいない末っ子姉さんの充実感あふれた笑顔が今でもはっきりと思い出せる。
教えた分だけ子どもたちは育つ。
社会では許されないことを、学校では許されて育つと無責任で利己的な人間になってしまう。校長室でのささやかな実践はまだまだたくさんある。「校長室で遊ぼう」という合い言葉も、校長としては躾の場として活用できることとして大歓迎であった。