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月刊悠2005年4月号 (株)ぎょうせい
教職員を戦略化する校長の役割

前・神奈川県茅ヶ崎市立緑が浜小学校長
    ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』会長

                                角田 明

 本論に入る前に新任としての管理職を拝命した時点の自身を振り返ることにしよう。

 意欲と情熱は誰にも負けないと自負していた教員生活の延長線上にあったことを思い出す。理想と現実の余りの違いにゾッとして背筋まで寒くなるような思いもあった。落胆もした。自身の管理職才能も疑った。自己嫌悪にも連夜のように苛まれた。教職員も保護者も敵ではないかと疑心暗鬼になった日々も多かった。しかし、今となれば「あれで良かった」との思いでいる。つまり「意欲と情熱」のない業務のスタートなどないのだ、と確信しているからである。

 萎えてしまう日々が必ず来る。そんな時は、この拙文を読み返していただきたい。そして、諸先輩の誰もが、怯みながらも学校経営への「夢とロマン」を捨てずに懸命に前進したのだと考えていただきたい。その一心で、「新しい後継者」に学校経営の戦略化についての考えを述べることにする。

「経営者としてのビジョン」の重要性

管理職を拝命して、「こんな学校に着任するはずではない」と言う同僚がいた。私はその人に「辞めれば良いんじゃないの」と助言した。決して、同僚を蹴落とす手段なのではない。意欲がなければピジョンもないと考え、そんな管理職の下で働いた教員時代を思い出したからである。敢えて苦言を呈しておこう。現職教員時代の同一延長線上に管理職があるわけではない、ということを。つまり、経営には安っぽい友情や周囲への迎合は危険であると言うことである。

 管理職は「人材登用」なのである。登用された時点で不満が口をついて出るようでは心配である。校長自らが学校経営力を高める戦力要因であり、「経営ビジョン」を発信する重要な任務が待っているからである。学校経営力を高めるためには校長が発する (発信する) 「経営ビジョン」は必需品なのである。

 経営ビジョンと言うと難しく考える後輩が多い。「どんな学校をつくりたいか」と言うことだと説明しても眉間に皺を寄せて考え込む管理職を見続けてきた。どんなに工夫して説明しても納得できたという実感はなかった。難しい言語を使用しないと「校長が発する経営案」 の貫禄がないとでも考えているのだろうか。経営案も「共に働く」同士が理解しない限り成果など生まれるわけがない。経営案が、生まれることを期待もされず仮死状態のままで学校数育文化の中で存続してきたこと自体大問題なのである。

従来の「学校経営」のカテゴリーから脱却

 日本の学校文化には威厳があった。威厳はそのまま教員に乗り移って衰退の情報を単なる幻聴としか捉えず倣慢文化を継承してきた。気がついたときには「教師の無力」に辿り着いてしまった。いつの間にか、教師力は社会からの戦闘に「立ち向かう」威力さえ失しているではないか。それは学校経営というカテゴリーがいつも「祭壇のお飾り」同様の存在だったからである。飾り物自体には効力はない。

 私は、学校教育文化の担い手は教負であることを校長時代には毎日のように繰り返した。それは、学校の戦力として社会に対応できる教職員を育成しておきたかったからである。教職員には随分厳しいことを要求した。しかし、本当に良く頑張って応えてくれた。今でも語ることのできる経営者としての喜びである。

 学校経営とは「学校が世の中のためにどれだけ役に立てるか」の具現化しかない。

 社会のために役に立つ学校になるためには教職員(学校力の戦力)の人材開発以外は考えつかない。つまり、学校経営のビジョンは「いかにして教職員を育てるか」 の戦略案なのである。茅ヶ崎市立緑が浜小学校の校長として、そんな思いを込めて「学校経営・グランドデザイン」を発信した。その中には校長としての「子どもへの思い」 は皆無に等しい。教員が育てば子どもは育つ。子どもが育ては親も育つ。親が育てば学校教育は万全なのである。その論理に基づいて作成したグランドデザインを全保護者と地域に積極的に配布した。社会に貢献できる教職員が育つことが学校経営である。

 そこで、学校経営ピジョンを考える校長先生方に是非とも学んでいただきたい著書があるので紹介したい。学校経営者として間違っていなかったと心の後押しをいただいた書物である。従来の学校経営のカテゴリーから脱却できると確信する。

 『いい会社をつくりましょう』(塚越寛著、文屋刊)。このタイトルを『いい学校をつくりましょう』と置き換えて学校経営案を考案されることをお薦めしたい。

経営戦略のための校長の立場 〜ライン制とスタッフ制〜

 行政経験者なら耳慣れた言葉であるが、初めて聞くと理解に苦しむ。

 威張って経営していたはずは無かったのに学校視察や参観者の皆さんから同様の評価を戴いたことを思い出す。それは学校経営の「柱」にしていた授業研究会での校長の位置づけである。授業研究という領域では「校長と教諭」の関係から脱したいと考えていた。研究協議会では積極的に「研究同人」的な立場をとることにしたからである。研究には上下の人間関係はない「スタッフ制」と考えている。むしろ、堂々と授業論を発する校長でありたいものである。

 ただ、管理運営上では 「責任の所在」を考えると校長としての判断の重さを証明できる「ライン制」が適していると考えている。こだわりは特にない。臨機応変のやり方もあるだろうが八方美人形式の学校運営だけは危険であることを最後に添えておこう。学校経営が「学校」だけに通じれば良かった時代は去った。社会に通じる学校経営でありたい。