利尻岳のシャクナゲ 撮影:管理人
シャクナゲ:西岳
明爺の「お散歩日記」

8月31日(日)   晴

豪雨の中の帰還だった昨夜。

やっと乗れたタクシーのシートまでびしょびしょになって恐縮しながら帰宅した。ゲリラ雨?しかし、夕べは雷雨ではなかった分精神状態は異常にはならなかった。

起床時刻がズレると一日のリズムまでが狂ってしまう。爺にとって最も嫌いなパターンである。夕方になっての歩禅も陽ざしの強さでは仕方がないが、身体の動きがしっくり来ない。

昨夜の雨の話題はやっぱり欠かせない夫婦の対話である。異常気象はアメリカ本土でもハリケーンによってもたらされていると言う。日本だけではないのはわかるが「アメリカも」となると何となく「そうなんだ」と落ち着くのはこの爺だけか。

今日で「夏も終わり」と葉書を書いた。投函するのも歩禅コース。郵便局を経由して八百屋さんまで行く。バナナを買う。スーパーに立ち寄った。冷気に全身が震える。ここまで冷やすか!夏はまだ終わっていなかった(笑)

8月30日(土)   晴(夜は豪雨)

今日は昼前の出発スケジュール。

ここ数日集中豪雨の被害を浴びている多摩地方に出講である。昼間は嘘のように良く晴れている。朝食はバナナと水。数分で済んでしまう。妻の体調がそんなすぐれない。気圧の関係もあるのだろうか。しかし、相変わらず音を上げるような発言や同情を得るような態度は決してない。だから様子をしっかり見るわけである。歩禅に誘うには少々厳しいと判断した夫は独り歩禅を企てるが失敗?

 雨の心配は無さそうなのだがベランダの洗濯物が気になるらしくその処理で時間のズレが生じた。歩き出して30分もすると快調な足取りになる。ホッとして声を掛ける夫「無理するなよなぁ」と。声はないが頷く妻。体温を上げて汗をかくことが健康体の基本だと鍼診療師から耳にタコができるほど聞かされているので妻の歩調と汗の状態で、今日も納得した。健康でいることの重要さをしみじみと感じるような年齢になってしまいました(笑)。

8月29日(金)   曇ときどき晴

午後4時からの歩禅はショッピング。

と言えば聞こえは良いのだが生活用品の調達である。数週間前に妻が読みたい本があると言ったことがあった。歩きながら「健忘」を指摘された。ご指摘通りにすっかり忘却の彼方に行ってしまった。歩禅のコースには書店もある。義理でも立ち寄るしかない。肝心な書名を妻が忘れていた。問われた時点でインターネットで調べたことがあったので著者だけは記憶していた。橋田壽賀子の著書である。偶然ではあったがお目当て本が一冊だけ平積みの中にあった。探し出した夫の面目躍如?

所要時間60分は歩禅に匹敵したが書店での静止時間を考えるとハンパな歩禅だった。青果店に寄って妻は生姜を買った。料理の中で生姜が活かされていることと健康食品としての価値観も鈍な夫もわかり始めている今日この頃。青果店の奧には美味しそうな魚もあった。しかし、仙台で頂いたサンマの味が未だ胃袋にあるようで躊躇した。

8月26日(月)   雨 【湯禅の記】   今朝も雨のスタートである。

降らないとなるとずっと降らずに乾燥注意

報。降り始めると、これもまたずっと降り続い

て大雨注意報。この歩禅記でも良く触れて

はいるが『自然界』とは意のままにならぬ存在であることは常識か。

 今日から東北・仙台へ出向く。東北は久し振りの訪問。肌寒い陽気に少々心配だが気を引き締めて出掛けよう、と浴室の暗い雨の朝の窓外を見詰めながら意を固くした。早朝メールチェックを済ませてからの半身浴が日程。メール送信時刻に驚嘆するメールが良く届く。当事者には何ら不思議なことはないのだが、午前3時台の着信では驚かれても仕方ないか。気になっている原稿執筆もある。特別なお盆休みの後は、どうもリズムが狂ったらしい。依頼原稿の仕上げにそろそろピッチをあげなくちゃ、とまた自らを奮い立たせている湯禅である。残暑の厳しさは直ぐに復活する。

 夏バテのないように心して東北へ出発!

8月25日(月)   雨 【湯禅の記】   神奈川県下にも大雨の注意報・警報が。

 強い雨音を浴室の窓越しに聞く。ラジオが雨の影響で小田原駅以西の運転が休止していると報じる。通勤に利用している人達は一苦労だろうな、と現職時代を思い出す。今日の予定では東海道本線は使用しない。家の近くを走るJR相模線を利用して厚木市まで行くことになっている。雨も降っているので車での出向を妻は勧めるがその気全く無し。

 ちがさき『響の会』の教員と一緒に昨夜は楽しい酒を呑んだ。懐かしい感じがするほど地元の教員との接触が少ない。他県や他市の教員との懇談が多いので余計に懐かしさを感じただろう。懐古と加齢の関係?

 湯舟で胡座をかいて(禅)目を閉じる時間が30分間。様々な人生模様が走馬燈に浮かんでは消える。鍼診療を始めたのが2000年9月2日。ふと考えると、あの年もオリンピックイヤーだったのだと気がついた。喧騒なTV画面からそろそろ解放されそうだ。

8月24日(日)   雨 【湯禅の記】   窓から差し込む暗い光。

この夏もそろそろ終わる。長期間の留守で

はこの半身浴が出来ない。腰痛が持病と思

い込んで過ごした現役時代だった。いつ痛み

が発症するかは時の運。皮肉なことに現職を

退いた頃からすっかり消え去った。

浴槽に下半身を浸けて目を閉じると今朝

も窓から差し込む明かりに過去が蘇る。そして

元気に過ごせる「いま」に感謝する。半身浴は、まさしく禅の世界だ。健康増強は全く考えていないが、健康の現状維持は強く意識している。あらゆることで「老化」を体感する度に、維持できる力だけは維持しようと我と我が身に言い聞かせる昨今である。そのためには無理はしたくない。しかし、無理の出来る体力は欲しい。限界までの挑戦からは逃げたくない。そんな意地っ張りが何年継続できるか。

 挑む意欲が萎えたら全ての幕を下ろすことになるだろう。今週は今夏最後の「挑戦」である。意欲満々の我が身を湯禅で確認した。

8月22日(金)   晴

昨夜のゲリラ雷雨は凄まじかった。

妻も同郷なので自然現象の記憶は共有である。昨夜の集中的な豪雨は故郷では珍しいことではない。雷雨も少年時代に怖い体験もあり、昔人の生活の知恵も子どもの頃に伝承されているのも共通である。自然現象が「荒れている」時には逆らわない、と教わっている。出来るだけの電気使用量を落として閑かにして「嵐の去る」のを待つのが得策だとか。

今朝は夜明けが遅かった。鍼診療の翌日は未だ妻が本調子ではないので夫独りの早朝歩禅である。半袖で飛び出したので肌寒ささえ感じる陽気である。一気に秋になった感じさえする。中央公園の樹木の葉がかなり落ちている。落葉ではなく昨夜の風雨の被害だろう。すれ違う人達が異口同音に「歩きやすいですね」と声を掛ける。少々歩いてもタオルは要らない。JR北茅ヶ崎駅の構内で電車を待っている人達も心なしか寒そう。そんな朝になってしまったが、本格残暑はまだこれからだ!

8月21日(木)   晴

3週間ぶりの鍼診療日。

朝晩の風の心地よさを体感したのは19日に宿泊した京丹波町の宿。迫ってくるような山の緑が運んでくる自然の風は流石に凄い。

そんな話題に興じながら片道90分の運転で定番の鍼診療に通う老夫妻。毎週定期便で通い始めた8年前を考えると今回のようにかなりの時間を経て通えるほどまでに「元気回復」をさせていただいているのかも知れない。帰路に横浜の姉の家を訪ねたのでいつもより帰宅時刻が数時間遅くなってしまった。爺にとって大好きな時間「午睡」が取れなかったことはちょっと痛かった。

我が家のお盆行事も無事に終わった。土浦の長男宅も頑張ってくれた。義父母も満足して貰ったのではないだろうか。義父母が逝ってしまってもう1年?いや、まだ1年?その時の心情の揺れで「もう」と「まだ」が交錯する。新盆供養に娘である妻の疲労度は最高値だったろう。少しでも休養して欲しい。

8月18日(月)   晴

ここ数日ヒンヤリとした北風が心地よい。

残暑見舞いの葉書に着手して、冒頭に「残暑見舞いの言葉が不似合いの・・・・」と書き始めた頃から、朝の風に初秋の佇まいを感じるほどに気温の変化が顕著である。

「盆が過ぎると」と一気に夕暮れが迫ってくることを思い出す。蜩の鳴き声が季節の移ろいを演出する。蝉の鳴き声ももの悲しく聞こえるのもこの時期かも知れない。

燃えさかっているのはテレビ画面。北京オリンピックの放送も良いが、「偏り」を感じて仕方がない。同列にあるべき日本代表の選手であるのに「画面に登場する」種目は?

高校野球の放映にも高校時代から不信感を抱いていた。受信料を払っている国民にはその不満もあって当然ではないか。視聴率、つまり「人気」が全てに優先されてしまうのは納得できない。教育も同じ事?

そんな爺の呟きと共に「お盆休み」も終わりました。明日からまた、遠距離の出講です。

8月16日(土)   晴

新盆供養に接して

「お盆」という宗教的文化行事にこんなに真剣に対峙したことはなかった。三男で育った私には、長兄が全て司るこの類の行事では指示通りの動きで十分な協力体制だったからである。妻は一人子で育ち「親の看取り」は当然ながら、その後の宗教的後継者としての任も全面的について回るわけである。昨年、立て続けに他界した両親の宗教的事後処理も、相続に関する事務処理も一人しかいない「子ども」としての用務は想像を絶するエネルギーが必要であった。能天気な夫は「何とかなる」流儀で付き添ったのは妻にとってはどう捉えたのだろうか。

幸か不幸か、義父母には自前の墓がなかったので長男が定住する土浦市にお墓を設けた。一周忌の法要も新盆供養も菩提寺(嫁の実家)でお世話をいただいた。

13〜15日の新盆供養は土地の宗教的慣習に従って無事に終えた。安堵の夜だ。

8月16日(土)   晴

新盆供養に接して

「お盆」という宗教的文化行事にこんなに真剣に対峙したことはなかった。三男で育った私には、長兄が全て司るこの類の行事では指示通りの動きで十分な協力体制だったからである。妻は一人子で育ち「親の看取り」は当然ながら、その後の宗教的後継者としての任も全面的について回るわけである。昨年、立て続けに他界した両親の宗教的事後処理も、相続に関する事務処理も一人しかいない「子ども」としての用務は想像を絶するエネルギーが必要であった。能天気な夫は「何とかなる」流儀で付き添ったのは妻にとってはどう捉えたのだろうか。

幸か不幸か、義父母には自前の墓がなかったので長男が定住する土浦市にお墓を設けた。一周忌の法要も新盆供養も菩提寺(嫁の実家)でお世話をいただいた。

13〜15日の新盆供養は土地の宗教的慣習に従って無事に終えた。安堵の夜だ。

8月13日(水)   晴

 早朝歩禅は二人の孫を連れて。

爺が少々で送れてしまった朝。孫に催促されて5時半に家を出る。「今日も暑くなりそうだなぁ」との独り言に、孫からの問いかけは「なぜ、そんなことがわかるの?」。「そんな感じがしただけ」と応えたら黙ってしまった(笑)。

あなたのお父さんはここでザリガニを釣っていたんだよ。あなたのお母さんはここでレンゲ摘みをして遊んでいたんだよ。長男と長女の子供達は「親の幼い日々」の話には大変興味があるようだ。突っ込んだ質問も飛び出し、答えに窮することもあったが、老妻との対話とはまたひと味異なる楽しい時間であった。

長い間(長男や長女が幼い日から始まっていた)の道路建設工事も目処がついたようで歩道も完成しているので歩禅のコースとして選んだ。それぞれの家に戻ったらどんな脚色をして親に説明するのか楽しみでもある。

今日は帰る日。片付けの手際も良い。日頃口うるさい母親でも恋しくなる(?)ものだ。

8月12日(火)   晴

 未明の雨は凄かった。

エアコン未使用の我が家では二階の部屋の窓はほぼ全開である。雨の音に目を覚まして窓を閉める。二夜連続のゲリラ雨。閉めると流石に暑い。眠っている孫達が汗をかき始める。妻と二人で「手動・扇風機」(団扇)をフル回転させる。お互いに必死な形相に苦笑い。娘や息子のためにこんなに懸命になったことがあっただろうか。2日間連続の深夜勤務。

早朝に目を覚ました孫が窓を開けて路面がまだ乾いていないことに気がついた。雨降ったの?気がつかなかった!と叫ぶ。朝ご飯も食欲旺盛。目尻の下がる爺婆である。今夜のお泊まりが最終日。明日の午後には土浦に帰り着く。今日も映画館で2時間を過ごした後、階下の食品街で「お土産」を購入した。

娘と嫁には携帯メールで「ミニ情報」は送信しているが、そろそろ先方でも心配だろう。親心というのはそう言うモノ。居なければ居ないで寂しくなる。明日はお戻ししますよ!!

8月11日(月)   晴

 孫二人の宿泊二日目の朝が明けた。

早起きの祖父母に習って?早起きした昨日の朝が効いたのか昨夜の寝付きの早いこと。皆さんは「村の鍛冶や」という唱歌はご存じだろうか。歌詞の中に「早起き早寝の病知らず」がある。小生の祖母は幼い少年の私に何十回も説いた。早く寝るには「その日の朝、早く起きるんだよ」と。諄いことしか記憶になかったが、人生60年も過ぎる頃から「実感として」祖母の教えが理解できるようになっていた。そして納得できるリズムとなって身に付いた。孫にも伝える責任がある。昨夜の孫も証明してくれた。あっという間の寝付きだったので今朝の目覚めもまた早い。これを好循環と言えるのかな。

娘も嫁も自問自答しながらの「子育て」真っ最中である。祖父さんと祖母さんが出来ることはすべきだと務めている。孫の寝顔を見ながら妻と語った。そして、若い親達に「ガンバレ!」と声を掛けてあげたくなった。

8月10日(日)   晴

 早朝の茅ヶ崎サザンビーチに光景に驚く。

5時半には孫達と到着したが浜辺の人の波?はやっぱり「夏の海岸」であった。キャンプ用のテントも点在していた。ビーチでは、野球に夢中の親子らしい集団、子どもとボートに興じる父子の姿や港の防波堤で釣りを楽しむ老人と子どもの光景は心和む思いだ。浜辺のお客は遠方から来られた、所謂「観光客」に違いない。駐車場の車のナンバーがそれを証明していた。

茅ヶ崎市にあるワーナーマイカル映画館は浜辺から帰って朝食が済んだら行くことになっている所。何十年ぶりの「映画鑑賞」である。満足そうに見入る孫達の横顔を見ながら不思議な気持ちになった。「我が子と映画館」の時間の記憶が定かでないことである。

昼寝が済んだら「ママ達」からのご要請で、お祖母ちゃんは「お習字」の指導である。初めて持つ筆は難しい。能天気の祖父さんが目が覚めたら孫の力作の「書」があった!

8月9日(土)   晴

 義父母の一周忌・法事を終えた。

土浦市に住む長男宅が完成して仏間も出来た。九州からの仏壇の引っ越しは秋の彼岸までには間に合うが一周忌と新盆には無理だ。しかし、供養の読経も済ませて墓参りをして無事に一周忌の法事が終わった。妻はホッとしたことだろう。

長男と長女の第一子たち(共に小学1年生)が、茅ヶ崎に帰る私達と帯同して「なつやすみ」の一環で茅ヶ崎について来ることに決まった(?)。常磐線の特急「スーパーひたち」号が土浦駅に止まるというのでそれを利用することで孫二人を引き連れて東京駅経由で茅ヶ崎まで帰ってきた。

92歳で他界した義父母の次代の担い手は60代の我々娘夫婦である。お祖父ちゃん・お祖母ちゃんとして孫との楽しい旅行。向かい合った4人掛けのシートはすっかり旅気分。

寝付けない孫達との夜はやっぱり大仕事。親元を離れて初めての宿泊だからねぇ。

8月8日(金)   晴

 昨夜遅い時間に広島から帰宅した。

 神奈川県在住なので新幹線利用は小田原駅か新横浜駅と思い込んでいる人が多いかも知れない。実は私がそうだったからである。品川駅の利便性に気がついたのは妻だった。思い込んでいた夫は一笑に付したが、苦し紛れに利用してみて驚いた。というより妻の意見の妥当性を実感したのである。

 小田原駅停車の「ひかり号」の本数が増えたと言っても数本のこと。新横浜駅には全ての超特急軍団が停車するからかなり利用した。新横浜駅から横浜駅への移動が、時として東神奈川駅で「乗り換え」が必要なダイヤもあり、距離的には問題はないが時間のロスタイムは無視できない。ましてや、私のように講演用の「お荷物」を引き摺っている旅人には駅構内の階段は地獄の沙汰?(地獄は知らないが)である。品川駅は新幹線と在来線の一体化が出来ている。乗り換えが実に楽なのだ。昨夜もその恩恵を実感して帰宅。 

 

8月5日(火)   晴

 【8月4日の記憶】

 

プロ野球200勝投手誕生

「見事なまでの達成」ぶりに老体が震えた。しかし、涙が出ない!涙腺の弱まりを加齢の所為にして涙が出ることへの言い訳をすることが多くなっていた昨今なのに(強い自意識)。こんな感動の光景の坩堝にいながら涙腺が今夜は硬い。割れんばかりの歓声がドームの中に立つ主人公へ惜しみなく送られている。声援と拍手の嵐。それなのに、なぜか冷静に180度の視野を確認する自分が変だった。二階席も三階席も移動する観客の姿が疎ら。どうしてこんな瞬間に冷静に周囲を見詰めているのだろうか。隣席の妻はずっとハンカチを目に当てている。「俺も感涙に噎びたい!!」そんな焦燥感すら持ち上がるほど冷静だった。三万人を越える観衆の「温かい眼差し」を確認しながら「教師冥利」を満喫したのは異常性格者になったのだろうか。

プロ野球界に身を投じるために茅ヶ崎を出発する教え子に向かって放った冷たい一言が蘇ってきた。

「一軍のプロ選手になるまでは茅ヶ崎に帰ってきてもキミとは決して会わない。リミットは4年間だぞ。」

耐え抜いて立派な選手になった。そして冷たい言葉しか贈らなかった「せんせい」を今夜のこの檜舞台に招待してくれた。

「プロ」のプロたる所以は、「人を酔わせる」「人に夢を与える」「人に勇気を湧かせる」ことなんだ。だからプロとは厳しい稼業なんだ。激励のつもりで発した冷たい言葉だった。

そして、今夜、目の前で、それを証明するワンマンショーを演じて見せてくれた。教え子に感謝!そんな瞬間、まるで心を見透かされたかのように自席の周囲の多くのファンの人達から「マサさん、ありがとう」と大きな声援を戴いた。「マサ、ありがとう」と呟いた瞬間少しだけ涙腺が緩んだような気がした。

ホテルに戻って妻と二人っきりになって妻の一言「おめでとうございます」で堰は切れた。

感激が込み上げて涙もチャンと出た(笑)。

8月4日(月)   晴 

 幼き日の「遠足の朝」の興奮が蘇る。

今日は午後6時プレーボールのプロ野球の観戦である。場所はナゴヤドームだ。昨夜から脳内は観戦のことで満杯状態。中学生時代に走馬燈が引きずり込んだ。珍しく眠れぬ夜だった。川上哲治氏(元巨人軍監督)の引退試合が郷里・熊本で行われた。その観戦に行ける前夜に似ている。本質的には全く観点が違っているが眠れなかったのは同じ。

早朝歩禅は妻との対話を楽しむ時間でもあるが、今朝は異常だ。妻も寡黙になっている夫の心情を思い遣るのか声も掛けない。あっという間の1時間が過ぎた。帰宅してシャワーを浴びた。身体のスッキリ感はあっても大脳の働きは止まっていて息苦しい。

プロ野球選手(投手)の大金字塔。その達成を応援するために名古屋に出掛ける。自分が挑むような心境になってしまうのが不思議だ。一回目の挑戦で達成は困難だろうが、健闘を祈るしかない。行ってきます!

8月3日(日)   晴 

 宴(花火大会)の後の朝を歩く。

5時に家を出て早朝歩禅。駅周辺にはいつもの朝とは違う光景が目につく。中央公園にはベンチに昨夜の延長線で熟睡している姿がいくつか。朝帰り?する少女の群れ。浴衣着がそれを証明している。疲れ切った動きに宴の楽しさを彷彿させる。駅の南側まで足を延ばしていないので昨夜の残骸?は確認できないが通常の朝よりけだるさを感じる人達の往来であることは事実だ。

日の出の時刻が心なしか遅くなったことを実感しながら妻と歩く。会話の中で「お盆が過ぎれば」のフレーズが飛び出した。土用波とクラゲの海。海辺で育った夫は子どもの頃から「季節の移ろい」をそんなことで感じていた。妻は蝉の鳴き声と蜩だという。育つ環境で季節の移ろい感も違うモノだ。

今年は亡き義父母の新盆。「お盆が過ぎれば」三回忌に向かう心の準備か。京都の知人から大文字送り火の案内が届く。

8月2日(土)   晴 

 午後5時前に茅ヶ崎駅に帰り着いて驚く。

前を歩いていた少女が母親らしい人に「なんで今日はこんなに人が多いの?」と。答えは聞き取れないまま人の波に動かされながら乗り越しのための精算機に向かう。なぜだろうか?と自問しながら改札口を出る。若い男女の浴衣姿(甚兵衛姿)に視線を合わせながらピデストリアンデッキ(駅上2階歩行者専用通路)で気がついた。今朝の出掛けに妻の忠告。夕方の時間に帰宅すると茅ヶ崎駅は花火大会のために大混雑するかも知れません、と。配られていた花火大会団扇を貰って帰宅した。今夜はサザンビーチ花火大会である。

5時前だったのでセーフ。大盛会の花火大会だろうな。夕立が来ないと良いが、と老婆心が騒ぐ。幼い頃、母に連れられて花火を見に行った。母は姑の反対を押し切って子供達を連れて行ってくれたのだが、途中から夕立どころか土砂降り。ずぶ濡れで帰ってきた幼い日を思い出したからである。

8月1日(金)   晴 

 午前中の遠距離歩禅は隣町まで。

茅ヶ崎市の隣には寒川町がある。相模國一之宮「寒川神社」がある町である。上京して大学生生活を過ごした「第二の故郷」とも言える土地でもある。

陽ざしも弱く風もほどほどに吹いて心地よい歩禅環境に調子を上げて歩いた。目標は単なる雑用。周辺でも済ませることの出来る用務であるが「目的を」作っての得意版・歩禅である。

万歩計を覗いて驚く。片道の歩数が6000歩しかないではないか。そんな距離なのか。JR相模線で行けば1駅区間と半分ぐらい。車の通らない小出川の土手を利用すると最短距離で歩ける。10時に出発して12時には帰宅できた。汗は適量。しかし、足の疲労度はかなり上がった。シャワーを浴びて昼食を済ませると心地よい午睡の誘惑に負けた。

早朝歩禅のリズムが壊れているここ数日。陽ざしの弱い午前中がその代役を済ませた。