《自己満足の転地療養》


 

No.
35

全国各地を訪れて

自らの「目」と「耳」と「足」と「こころ」で、講演して、そして考える自分育ての記録です

 

2006年7月25日(火) & 28日(金) 

 《茨城県教育研修センター》

平成18年度教頭研修講座

〜『人間性を磨く』〜


 前号(34号)に引き続き今回の「旅」も、初めて訪れる地です。

茨城県内には長男一家が土浦市に、妻の叔父一家が藤代町(現・取手市)に住んでいます。従って私的には数え切れないほど訪れている所です。しかし、自らの「仕事(=講演)」と銘打っての訪問は初めてです。

それでも、やっぱり私流「転地療養」哲学は健在でした。未知の場所を訪れる心のときめきが証明していました。公務としての緊張感がその半分を占めているのですから第三者からは理解しづらい性分なのかも知れません。お声をおかけいただいた主催者(担当:黒田裕之指導主事)に対して大変失礼な表現になってしまうようで恐縮ですが、偽らない気持ちとして先ずご理解いただいてお読み下さい。

 私にとって、茨城県と言えば未だ三十歳後半だった頃、「筑波中央研修」を受講したことが先ず一番に浮かんできます。全国中学校英語教員研修講座に参加させていただきました。右も左もわからぬ若僧が全国から集まって来られた素晴らしい先輩教師の皆さんとほぼ一ヶ月、国立教育会館筑波分館(当時)で過ごしました。そして、学校教育現場に戻って英語科教員として、ここで得た「知的財産」を力の一部にして授業実践が出来ました。大変な栄誉をいただいた地が茨城県にありました。当時の苦しさは忘れましたが、今でもお付き合いが続いている諸兄もあります。最近では「つくばエクスプレス」と言う洒落た交通手段が東京・秋葉原から筑波研究学園都市に走っているようです。隔世の感じがします。

7月25日(火)

講演前日に今回の研修担当の黒田指導主事から自宅に電話がかかりました。館内の冷房温度の調整から職員も受講者もネクタイを着用しないことになっているという現状の報告でした。講師への配慮だったのです。ネクタイ姿で過ごしてきた教員時代から離脱して3年目を迎えています。今となれば、窮屈と思えたネクタイ着用に背広姿が最も悩まずに洋服を着ていたのだと感じ始めています。しかも、講師としてはノーネクタイでの出講は経験がありません。暑さ対策のご配慮も十分理解していながら行動に移すのは難しいことでした。

出発間際に全身を鏡に映して「本当にこんなラフな服装で良いのだろうか」と不安が先立ってしまいました。長年染み付いた習慣を払拭するのは至難の業です。しかしながら、昨日の丁寧な電話のことを考えれば「模様替え」は必至です。意を決して出発することにしました。

実は、担当者との電話を終えて、妻と二人で大型店舗に出向いて2回分の講座衣装(?)を購入したのです。何着ても似合わない現状を知りつつも対応だけは努めてみました。違和感を抱いて電車に乗り込みました。何だか落ち着きません。

6:42 茅ヶ崎駅発  7:47 東京駅着。

東京駅から上野駅までは山手線。今回の研修担当・黒田指導主事から詳細の資料が届いていましたのでその指示通りの行程で移動開始です。上野駅発8:30のJR常磐線「フレッシュひたち9号」に乗車。降車する友部駅は特急電車停車駅。上野駅からの特急所要時間は1時間12分。友部駅の次は、特急電車は水戸駅に停車です。

友部駅で、郵送されているタクシー券を運転手さんに渡して余計な会話もなく10分ぐらいで茨城県教育研修センター(写真)に到着しました。

正面玄関で担当者の出迎えを受け講師控え室へと移動しました。センターの立派な建物には圧倒されたのは、余りにも貧相なラフスタイルだったからです。やっぱりネクタイ着用が良かったんじゃないか、と。

10:40〜11:50 が講座の持ち時間です。

いつもの通りに壇上に立ったら会場を見回しました。「おはようございます」と型通りに講師としての挨拶をしました。返ってきた挨拶の爽やかさにすっかり上機嫌になってしまいました。色々な会場で、学校教育関係者への講演をしてまいりました。正直なところを申し上げると多くの会場からは元気のない、暗い「返礼」しか戻ってきません。今回も期待を込めて挨拶をしたのではなかったのです。教師は口を開くと「挨拶の出来ない子供」が多くなったと嘆きます。学校の指導目標にも「挨拶の出来る子の育成」が掲げられています。どうして?

校長の経験者として反省を含めて考えてみましょう。

挨拶の出来る子を育成するのは簡単です。挨拶の出来るオトナ(保護者と教員)がいれば良いのです。オトナの挨拶が交わされない社会で、挨拶のできる子供が育つわけがないからです。学校に訪れた外部の方々は異口同音に教員の無愛想を指摘します。それは「挨拶以前」の人間としてモラルの問題です。現職の校長としても、自校の状況を認めているから辛いのです。廊下ですれ違う人に「おはようございます・こんにちは」が言えない教員に「挨拶の出来る子」は育成などできません。教頭先生方にも強く意識して貰いたい課題です。

この会場での開口一番の挨拶の交換。

会場の受講者(全員が教頭)の表情が明るい。しかも、自然体でリラックス。驚いた講師本人が変でしょうか。今までに味わったことのない好印象。心が軽くなった講師は有頂天。講義をしなければならないのに一緒にリラックスして「世間話」で始まることになってしまいました。立場を弁えない非常識さを恥じつつ、また猛省しています。

駄弁を労する。まさに反省はその点に尽きます。配付した教頭先生方の手元の資料とは、格調まで隔たり受講者は半ば呆れて、終わりの頃には諦めもあったかも知れません。

どんなに尻切れトンボになろうとも私には講演哲学があります。それは指定された「終わりの時間」を厳守することです。これは屁理屈でも、言い訳でも何でもありません。我が身を受講者サイドに置いて考えるからです。そうするとその哲学が浮かんでくるのです。同好の仲間や熱烈な支持者、あるいは熱狂的なファンであるならば「時間延長」を切望したり、期待したりすることがあるかも知れません。しかし、それは例外の部類にはいるのだと考えています。

私がお受けする通常の講演は、教育業界用語で表現するならば「官制研修」という時間帯のものです。意思とは裏腹の講座です。招かざる講師としての出番ですから、私の講演哲学の「終了時刻の厳守」は、拙い講演への陳謝も含んでいるのです。

講演の直後の会食は辛い時間です。消化不良の講義内容はまさしく食事の消化不良に輪を掛けてしまうからです。しかし、折角のお心遣いです。懺悔をしながらいただきました。食後、お呼びいただいたタクシーに乗って帰路に着きました。

帰路のJR常磐線の車内は自己嫌悪との闘いでした。自由席特急券でしたので乗車する時点で失敗したと感じました。友部駅からの乗客が多かったからです。しかし、運良く座れました。講演の反省もさることながら下手な余計な気遣いで神経が疲れていたのでしょうか。それとも自己反省も「喉元過ぎれば熱さを忘れる」図々しさのせいでしょうか。いつの間にか熟睡してしまったようです。目が覚めたら「柏駅」でした。

私の性格は変なのです。一眠りすると「過去は過去」そのものになってしまうのです。あれだけの自己嫌悪も懺悔も目が覚めると忘却の彼方に飛んで行ってしまっているのです。この性格は、今日始まったことではございません。眠りから覚めた後は、さも充実した時間を過ごしたかのように変色して「28日も頑張ろう」に転換していました。

 初日の受講者の教頭先生方、苦痛の時間を耐えていただいたことに感謝申し上げます。

 

7月28日(金)

 あの自己嫌悪の日から三日が過ぎました。茨城県教育研修センターでの第2回目の講座の日です。

初日と全く同一リズムで、会場に向かっている講師は自らの頭の中で「前回の失敗」を繰り返してはいけない、という力みが強くなりました。

しかしながら、同じ会場であっても「受講者」は違うのです。中学校の教員ならわかることですが、教室を替えて同じ授業内容を展開することと同じです。その経験はしていても受講者の質が中学生とは随分違います。

茨城県教育研修センターからのご依頼は、2回の講座は「同じ内容を」とのことです。壇上に上がると前回の失敗が蘇りました。救われたのは前回と同様に異常なほどの親近感と明るい雰囲気だったことでした。情報化時代ですから、前回の受講者にもお仲間がいらっしゃることでしょう。メールでも携帯電話でも情報はすぐに飛び交います。この広い会場の受講者の教頭先生方も何名かは「前回は・・・・」の情報を得て出席されているだろうと考え始めたら「全く同一形態で」進めることに躊躇いを感じてしまいました。

中学校の授業でもそうです。隣の教室には前時の授業の様子は届いていました。新鮮さは「受ける」側だけが感じるモノではありません。「発する」側にその大きな責任があります。今日の講座は、前回から三日が過ぎています。その間に「受ける」側にも「発する」側にも莫大な情報が届いています。三日前の第一回目の時点では存在しなかった情報を「発する」ことが、受ける側には新鮮さとして伝わるのです。

そこで、前回にはなかった新聞資料を提供することにしました。

次ページに添付した「コメディアン 池乃めだかさん」の記事です。

人格を決めた『通知表』と恩師の死

  このタイトルが講演のテーマに沿うものと判断したからです。一人の人間の生き様に大きな影響を与えた恩師。そういう教師を教頭先生達に育てて欲しいと思ったからです。記事が前回講座(25日)の朝刊に掲載されていました。早朝に家を発ったので記事を読み取る時間がありませんでした。従って第一回目の講座ではご紹介できませんでした。資料印刷は時間的に無理なことだったので手持ち資料として持参して朗読をして提供しました。講演の内容に全く変更はありません。主催者の意図に沿ったテーマから逸脱したモノは無かったと思っています。

発信する講師の心情的リフレッシュのための導入ともなりました。

講師には言及不足も感じながら、時間はあっという間に過ぎてしまいます。しかし受講者にとっては拷問とも思える時間になる場合があります。忍耐との勝負。講師自身がそんな受講の経験者なのです。相手の立場を考えなさい。これは耳にタコができるほど聞いてきました。しかし、中々実践は難しいのです。講師をお引き受けして、最初に考えることは「より新鮮な資料」の提供です。新鮮な資料探しが講師の内面をも新鮮にしてくれるからです。何度も講演をお聴きいただいた方から言われる言葉があります。角田先生の話はいつ聞いても「同じモノがない」と。これは日常的な資料検索を心がけていることへの最高の讃辞として素直に受け止めることにしています。

 苦痛の時間をお過ごしになった茨城県下の教頭先生方。次回お会いできる日には、また「新しいネタ」を持参して、もう少し上手にお伝えできるように勉強します。今日もまた、情報を受信するネットワークを充実させ、フットワークでホンモノを求めて動いてみます。

今回も素晴らしい「転地療養」の旅となったことを「旅・度日記 35号」の最後に述べて、日記を閉じます。ありがとうございました。

 最後にこの機会をお作りいただいた茨城県教育研修センター関係者始め担当なさった黒田裕之指導主事に心からお礼申し上げます。
































 














この記事に関するエッセイが翌日(26日)の同一新聞紙上に掲載されました。

・・(略)「がんばってるか」と声をかけてくれる担任の先生がいた。そんな人物が少なくなった。社会から他者を思いやる感度が失われていると言ってもいい。(略)・・・・・・  

当日会場の受講者に配布された資料です

講演メモ

と き  平成18年7月25日(火)・28日(金) 10:40〜11:50

ところ  茨城県教育研修センター

講座名  平成18年度教頭研修講座(小学校・先任者)

テーマ  『人間性を磨く』 

《 演 題 》

人は人によりて のみ 人になる

〜教育者として「人間性を磨く」ことの意義を考える〜

 他力と自力

   1 間違った「他力」観

   2 固執し過ぎる「自力」観

 前例という常識  [学校の常識は社会の非常識?]

   1 「前例」= 意識を変えて創り出すモノ

   2 「挑戦の繰り返し」 = 生きた経験

3 「誤解と先入観」 =  失敗する対応と処理

 感性と琴線 [人は出会いによって磨かれる] 

   1 「琴線に触れる」= ホンモノと出会う

   2 「路傍の石」= 出会いを見いだす感性 

 

受講者の感想文(ご本人の承諾済み)

 私にとって,まさに琴線に触れる講話でした。「いい教員を育てること」は,自分自身もともに育つことであると思いました。教職員がともに育つことは「子どもをよりよく育てる」ことであり,「子どもを育てる」ことは,教職員も育つことであると思います。又,機会がありましたら角田先生のお話をお聴きしたいです。

 

● 「いけのめだか」の記事,絵本「いのちのまつり」,「いい会社をつくりましょう」,絵本「ねえ,どれがいい?」・・・・たくさんの事例から,教育者として「人間性を磨く」ことの意義に触れられたような気がします。少しでも実践できるように心がけていきます。特に,「いけのめだか」の記事から,教師の影響力のすごさ,すばらしさに感銘させられました。

 

● 確固たる人生観,人間観そして教育観をお持ちの実践家との出会いは,おそらくこの夏最大の有意義な出来事になると思います。子どもの教育,教員の成長,組織としての学校の活性化等,いくつもの課題に向かう力がわいてきたように感じます。すばらしい方をお招きくださってありがとうございます。

 

● 講話前に「特集 義を貫くもの」を読んでから,講話を心に刻んだ。「やればできる,やらなかっただけ」が終始話の底に流れており,「人は人によってのみ人になる」とする講師の原体験に根ざし,実践の裏付けをもとに語られた言葉に最後まで感動した講話でした。

 

● 講話の中で印象に残った言葉は,「教育は前例にとらわれず,意識を変えて新しいものを創り出すことが大切である。」と言うことです。また,たくさんの本を読んで,いいものと出会い本物の教育をすること,管理職として自分を見つめる時間をもって一日一日を過ごすことの大切さを学びました。

 

● わずか1時間の講話でしたが,講師の人間的な魅力に惹かれました。「ホンモノ」の人に出会った瞬間でした。「挑戦の繰り返し」が学校においては,とても大事であると感じました。これから忙しい中でも,たくさんの本を読んで自分自身を磨いていきたいと思います。とても印象に残る講話でした。



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